出会いの仕組みはいたってシンプル
もしもなにも考えなくても簡単に恋愛ができる状態なら、きっと人は全然恋愛を頑張ろうとしないだろうと思います。
たくさんあるものの価値観はわかりません。貴重なものだからこそ大切にしようとしているのです。ちょっとしたことがきっかけで新しい出会いを見つけ出すことができるようになるのです。その“ちょっとした”に気付くことができるのは、日ごろから何気なく些細なことにも気がつくことができる人だけです。
恋愛は一瞬のうちにすることができるけど、そこに大きな障害があっては何も始まらなくて、異性を見る目も簡単には養うことができないのです。言葉を選んで相手に必死になって気に入られようとしている姿は人間そのもので、どんなに頑張ってもその努力が報われないときは報われません。努力って本当に報われるものなのかとその時は疑います。これまでにできなかったことをあえて意識して使用とすると、意外と新しい出会いはすぐそこにあるもので、アイデンティティーとか言っているけど結局自分が何者で、何をしようとしているのかが分からなくなって周りが見えなくなるいわゆる盲目状態というのは、誰かを好きになるのか、なろうとしているのかという時にしかならないのです。
盲目状態になれば人は何をしでかすかわかりません。もしかしたらうまくいかない恋愛を体験して人を殺してしまうということだってあり得るくらい、こいをするという気持ちはとても怖いものであり、この上ない快楽を得ることができるすべなのかもしれません。死を感じる寸前の快楽と解放感はこれを体験した人にしか分からないもので、最終的に人はみんな死んでしまう。
消えてしまって今までのことがなかったことになる。
この意思を引き継ぐことなんてよほどの偉人でない限りはだれもそんな事をしてくれません。そう考えると死ぬことと異性に恋することはとても似ているのです。どん底に突き落とされる覚悟ができていなければ出会いを新しい人生の素材として調合して一句ことができないのです。
しにたいと思っていても死にきれない、出会いがほしいと思っても探しきれない、恋人がほしいと思っていても絶望で終わる。何のために人は恋愛をしようとしているのでしょうか・・・何のために生きようとしているのかなんて全然気にしない人間に限って余裕をこいて恋愛をうまく利用することができているのです。不条理なのは世界ではなくて、人間が固まったところにこそ起こる問題です。